当校の歴史

第Ⅰ期:1994年~ 大人として立つ、七転び八起き

立川に建て物を持つまで、この学校の前身は、教育に関わる運動体として活動していました。全国各地で志ある仲間たちが集まり、教育者や親のためのワークショップ、鳥山敏子の講演会を定期的に行うことで、自分たちの場を「学び」の場にしようとしてきたのです。「子どもたちが本当の自分の力を出しきって、生きていける(天の才を発揮できる)社会をつくろう」という鳥山敏子の呼びかけに応じ、「家庭」「地域」「学校」「社会」のそれぞれの場で、一人ひとりが自分の足もとを見つめ、変化していくことを通じて、人と人、あらゆる世界とのつながりを回復していこうと始まったのが、私たちの学校設立の衝動です。

1994年

「賢治の学校」立ち上げ

天地人のつながりの中に生きようとした宮沢賢治の生き方を理想として、「つながれいのち」を合言葉に「賢治の学校」を立ち上げる。

1995年

日本各地でワークショップを展開

全国で若者・大人・親たち中心の学びを展開。数々のワークショップを通して、子どもたちに起きていることが子どもの問題ではないと考えるようになっていった。大人が自分自身を見つめることを通して、子どもが子どもらしく生きられるようになる、そんな教育の道を見つけたいという動きがここから始まる。

美麻に「賢治の学校」開校

長野県美麻で若者のための学校(シュタイナーのユーゲントゼミナールを模しての学校)を開設。ここでは20代の若者たちが日常生活を送り、農業やものづくりをしながら、先生を招いて学んでいた。

1996年

ドイツのシュタイナー学校・ユーゲントゼミナール見学でエンゲンへ

ユーゲントとはドイツ語で“若い人”の意。ドイツではシュタイナー学校の卒業生や若者たちが集まって、寝泊まりをしながらシュタイナー教育の根本を学ぶ場がある。ぜひそこを見学したいということで2週間参加。

ドイツでのユーゲントゼミナールは、シュタイナー学校の卒業生が来ているので、非常にしっかりした大人が自分の次なる課題を見つける場として機能していました。見学の中で、大人が子ども時代にやり残した課題として学んでいた美麻の「賢治の学校」とは根本的に違っていることを実感。そこで、大人ではなく「子どものための学校」を創ることが必須だと感じたメンバーによって、次の学校づくりが急ピッチで始まりました。
1997年
(生徒2人)

立川で賢治の学校「子どもクラス」開校

96年末から会議を重ね、翌97年2~3月頃具体的な話になり、4月に立川に物件(池戸ビル)が見つかるという怒涛の勢いで開校にいたる。生徒は1年生と4年生の2人だけだった。机は自分たちの手作り。親もボランティアで学校運営に関わった。

1998年
(生徒5人)

「子どもクラス」異学年で5人に

学年が違う生徒が少しずつ増えていったため、教師は子ども一人ひとりに合わせてカリキュラムを組んでいた。

1999年
(生徒10人)

「小学部」開始

「子どもクラス」から「小学部」へ変更。ここで新1年生4人とともに全日制の学校として新しいスタートを切る。この年に初めての入学式を行った。

「幼児クラス」開始

小学部に通う子どもに下の兄妹がいたため、幼児クラスもあったほうがいいということで始まった。幼稚園の資格を持っている先生がおり、初めは自分で自分の子どもを見ていた。

2000年
(生徒13人)

七頭舞を始める

七頭舞(ななづまい)とは岩手の開拓の踊り。これが宮沢賢治や「賢治の学校」の精神とも共通するということで、授業の一環として始まる。この踊りは立川の夏祭りで2010年まで毎年披露され、地元との交流にかかせないものになった。

2001年
(生徒17人)

けやき校舎へ小学部移転

生徒数が増えたので、使われていない民家を生徒の親が見つけて自ら改修し、小学部を移転。

2002年
(生徒30人)

NPO法人取得

98年にNPO法が施行されたこともあり、これから学校の成長を考え、社会的責任をどこで持つかということでNPO法人として認証を受ける。

「柴田校舎」「幼児クラス校舎」完成

池戸ビル、けやき校舎に加えて柴田校舎と幼児クラス校舎ができ、これで学校の施設は全部で4か所。柴田校舎には高学年が入ることに。

第Ⅱ期:2003年~ パワー全開 ボロは着ててもこころは錦

2003年4月、「自由ヴァルドルフシューレ」が校名に加わり、シュタイナー教育をこの学校の柱にすることがあらためて確認されました。12月には、4か所に分かれていた学校が多摩川河川敷の現校舎に移転。子どもたち、教師、親が、ひとつの場所で活動できる喜びを分かち合いました。熱い思いは、喜怒哀楽とともにエネルギーをはらみ、どんなことでもやった結果、2005年には高等部が立ち上がり、生徒も100人を超えました。

2003年
(生徒64人)

校名を「東京賢治の学校 自由ヴァルドルフシューレ」へ

自由ヴァルドルフ連盟より正式にシュタイナー学校としての認定を受ける。ここで創立以前から続けていたシュタイナー教育の学びの中で、社会的な視野からも、あらためて外に向けてシュタイナー教育をこの学校の教育と運営の柱にすることを意識し、校名を「東京賢治ヴァルドルフシューレ」と改名。

1年間教員養成ゼミナールでドイツへ

以前は半年だった教員研修を1年に。子どもが増えてきて教師を増やす必要があったため、全国から参加者を募集をした。鳥山敏子もこのゼミナールに参加し、64歳の留学生となる。

現校舎に移転・改修

教員養成ゼミナールに出発する直前、現在の多摩川河川敷の校舎(当時は使われていない倉庫)が見つかり、親たち自ら床を張って校舎にしつられていった。親たちが一緒に作業することを通して親同士がお互いを知り、ともに学校を支えていこうという気持ちが今まで以上に強くなり、広がっていった。12月には4か所に別かれていた学校が現校舎にすべて移転。

2004年
(生徒84人)

台風対策

新しい校舎が出来たばかりの頃、非常に大きな台風が接近。当時はまだ雨戸がなかったため、台風の本場、奄美大島出身の先生のアドバイスによって、屋根や窓が飛ばないように、窓には養生テープを貼り、校舎はまるごとロープで縛っていった。

2005年
(生徒100人)

高等部立ち上げ

もともといた5人の生徒が、上の学年に上がるかたちで高等部を立ち上げ。ドイツの高等部の先生に来ていただき、教師たちが高等部教育の研修を受けられたことが大きな原動力に。全生徒も100人に。

ゲルづくりの作業始まる

モンゴルについての学びをやっていた関係で、モンゴルの迎賓館として使われていたゲルがやって来ることに。土台を父親たちがつくり、モンゴルの職人も来て、約3ヵ月で完成。子どもたちも色を塗ったりできることをして参加した。70平米ほどの大きなゲルは、劇や音楽を披露するホールのようにして使った。

親たちのドイツツアー

学校づくりを学ぶために18人の母親たちがドイツのシュタイナー学校を1週間の訪問。シュタイナー学校とはどんなところなのかを肌で感じる機会に。親たちがつくった校舎を見て、クッキーを焼いているお母さんたちと出会い、それを売ってどう資金を得ているのかなどを見学。この頃はまだ親が学校とほぼ一緒に動いている時代だった。

幼児クラス分離、現園舎に移転

多摩川河川敷の校舎ができたときに幼児クラスも一緒に移転してきたものの、その後も生徒が増える見込みがあったため、それぞれにふさわしい場所が必要ということで、1㎞ほど離れた教会内の廃園になった園舎を借り、幼児クラスが移転。

2006年
(生徒131人)

モンゴルの大統領夫人来校

日本の学校にゲルが建ったというので、完成したゲルを見るためにモンゴルの大統領夫人が学校を訪問。馬頭琴を10挺いただく。

2007年
(生徒144人)

ヴィーヒェルト氏来校

シュタイナー教育の世界代表理事ヴィーヒェルト先生が日本のシュタイナー学校を視察するため本校にも来校。授業を見て、「このバラックの校舎で黄金の授業をしている」という名言を残してくださった。授業と一緒に、能と七頭舞も見ていただいた。

フォーグル夫妻が教師会に入る

1997年からこの学校にオイリュトミーを伝えるだけでなく、たくさんの経験豊かなシュタイナー学校の講師のワークショップや教師研修を手掛け、通訳をオーガナイズを行ってきた夫妻を高等部設立にあたりドイツハスフルトのシュタイナー学校から職員のメンバーとして招く。

スイス・ドルナッハ公演旅行

ヴィーヒェルト先生からお誘いを受け、世界シュタイナー学校の大会で七頭舞を披露することに。

2008年
(生徒180人)

第1期生卒業式

学校から初めての卒業生を出す(年度では2008年度だが、実際は2009年3月卒業)。親たちも卒業論文発表、オイリュトミー公演、卒業演劇などを初めて体験。初めての卒業式で巣立っていく生徒たちの希望に満ちた姿を目の当たりにして、誰もが感無量に。

2009年
(生徒198人)

13年生コーススタート

学校の最高学年となる13年生クラスが誕生。これは3月に出た、初めての卒業生たちのなかで大学進学を希望する子たちがいたので、事務所のあるアパートに新たに一室借り、ここで受験勉強をすることに。

第Ⅲ期:2010年~ 再生 賢治魂ふたたび

2010年には全12学年がそろい、生徒200名を擁する大所帯となりました。しかし、2011年の震災を経て生徒数は減少。危機の訪れはシュタイナー教育の存在意識を見つめ直すきっかけとなり、2012年、新たな決意を持って「東京賢治シュタイナー学校」と校名を変更しました。この頃から、親と教師の役割分担が明確になるとともに、親の仕事そのものも整理され、組織化されていきました。一方で、自分ができることで学校を支えようという新しい活動を企画したり、グループが発足したりという自主的な動きも見られるようになりました。「とにかく動く行動力」と「人任せにしない姿勢」脈々と受け継がれているようです。親の活動の場も、学校や地域の枠を超えて、広がりつつあります。

2010年
(生徒192人)

全12学年が初めてそろう

ユネスコスクール認定校になる

ユネスコスクールとは、ユネスコ憲章に示されたユネスコの理念を実現するため、平和や国際的な連携を実践する学校のこと。文部科学省と日本ユネスコ国内委員会によって、ユネスコスクールを持続可能な社会を創造していくことを目指す学習や活動の推進拠点として本校が位置付けられた。

東日本大震災(2011.3.11)

第2期生卒業式10人

震災の一週間後に、一旦中止となった卒業式を縮小したかたちで行い、10人の卒業生を送る

2011年
(生徒173人)

現校舎取得

地主さんより購入の打診を受け、それまで借りていた校舎と敷地を次の世代のために購入。その費用は教師たちが給料をおさえて学校のために貯金しておいたものと融資でまかなった。

台所、教員室の改装(睡蓮の間)

和室だったところに床を敷き、和室を改装。

第3期生卒業式5人

2012年
(生徒164人)

旧コンテナハウス設置

生徒の増加によって、ふたたび教室が足りなくなり、コンテナを増築するかたちで設置。

ゲル解体

老朽化のため解体。その後は縁あって自由学園にもらわれていった。

「東京賢治シュタイナー学校」に校名変更

ドイツではシュタイナー教育の学校はヴァルドフシューレとついていることが多い。ところが、日本ではヴァルドフシューレという名前ではシュタイナー教育であることがわかりにくいため、より多くの人に知ってもらうため校名を変更。賢治とシュタイナー、2人がおのおのに見つけ、未来に対して必要だと考えていたものは、今、私たちの学校にあるという意味も込められている。

フローリング化開始

プレハブ校舎の振動が激しいため、畳を敷いて防音したり、隙間に雑誌をつめてカーペットで覆っていた。それが経年劣化で傷んできたので、親たちで木を買って、無垢材の床に貼り直すことに。

第4期生卒業式12人

2013年
(生徒161人)

第1回チャリティーコンサート開催

親御さんの中に宮廷オペラ歌手の称号を持つ方がいて、その人と一緒にチャリティーコンサートを開催。これは床の張り替え費用捻出のために親の発案で始まったものだが、現在も目的を変えて続いている。

日本シュタイナー学校協会設立、正会員となる

日本でシュタイナー教育を実施している全国の7校がひとつにまとまって協会を設立した。

鳥山敏子先生永眠

第5期生卒業式6人

2014年
(生徒169人)

新コンテナハウス設置

再び教室が足りなくなり、新しいコンテナハウスを設置。

第6期生卒業式12人

2015年
(生徒166人)

AWTC日本開催

AWTC(アジア・ヴァルドフ教員会議)は2年に1回、アジアのいずれかの国で開催されているもの。日本での開催は、相模原市緑区にある学校法人シュタイナー学園で行われた。

第7期生卒業式7人

2016年
(生徒180人)

教員養成土日基礎コース開講

仕事を持っていても、また、遠方であっても参加できるように、年4回土日集中基礎コースを開講。本校の教師が講師となり、また、1回は元ニュルンベルグシュタイナー学校教師ドリス・シューラー先生が特別講師となった。授業実践に基づいた計8日間の講座は13名の参加者の熱意も合わさって、非常に充実した内容となった。2017年度も引き続き新たな参加者を募って開講する。

高等部生徒数66名、初めて国立市民まつりで七頭舞披露

高等部の生徒数が過去最高の66名になり、高等部生徒たちのパワー全開。生徒同士の絆はさらに深まり、部活動の数も増えていった。国立市民まつりでは高等部生徒が七頭舞を披露、秋の晴天の下に舞う生徒たちの勇壮な姿は、道行く人たちの注目を浴びた。地域のイベント参加も震災以来6年ぶりとなる。

第8期生卒業式12人