賢治とシュタイナー

◇賢治とシュタイナーに共通する思考

「自我の意識は個人から、集団社会、宇宙へと次第に進化していく」

――宮沢賢治

宮沢賢治とドイツの哲学者、教育者・ルドルフ・シュタイナーは20世紀の初頭、地球上の違う場所で、それぞれがまったく同じ考えを抱いていました。

それは、一人ひとりの人間が自分の中にある「本当の自分」を見つけ出し、自らの“天の才”を最大限に生かして生きていける時代が到来したということです。

「個の確立を通して自立した人間同士が、ともに世界を協力し合い、創りあげていく」

これが賢治とシュタイナーが共通して考える、未来の世代に引き継いでいける深い理念だったのです。全体の中の自分だけではなく、自分は誰かという自己形成、自己意識が何よりも大切であり、自己をしっかり持って初めて社会や他の人とやっていく力となる。自分を抹消させて、社会の中で奴隷のようになるのではなく、しっかりとした自分を持ちながら社会と関わっていくことが大切だと言っています。

また、人間形成における芸術の重要性を説いていたことも、両者の共通点のひとつです。

賢治は、農民は歌を歌ったり、音楽を奏でたり、たくさん芸術をすべきだと言っていました。シュタイナーも、教育の中で芸術は知力の半分を占める。だからこそ子どもはたくさんの芸術を通して成長すべきだと言っています。

「世界がぜんたい幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない」

――宮沢賢治

また、宮沢賢治は、人間が「本当の自分」を持った時、他の人と本当につながれる社会的能力を持ち、その意識が未来の社会を形成していく力に進化すると話しています。

そして、ルドルフ・シュタイナーも人間の核の部分である「本当の自分」に目を向け、人間一人ひとりが自分の人生の課題を見つけて、他の人間を思いやる自立した人間を形成する教育方法を生み出しました。それがまさに「シュタイナー教育」です。

「未来においてもし、自分の隣にいる他の人間が不幸な状態にいるなら、どの人間も安心して幸せを満喫することはできない…」

――ルドルフ・シュタイナー

このように宮沢賢治とルドルフ・シュタイナーの大きな理念を受け継ぎながら、東京賢治シュタイナー学校は、子どもたちの“天の才”を引き出せるよう、日々常にまっすぐに子どもたちに向かって取り組む学校でありたいと願います。

◇賢治の学校とシュタイナー教育の出会い

97年、東京賢治シュタイナー学校の前身である「東京賢治の学校」は、立川で初めて建て物を持った学校として歩み始めました。

同時に「大人クラス」を設立し、そのクラスから自己教育への模索の中で、シュタイナー教育の取り組みが定期的に実践されるようになりました。

ただし、この時点ではまだシュタイナー教育を学校の柱にするということではなく、他にも演出家・竹内敏晴さんの「からだとことば」のワークショップや宮沢賢治の学びなどを通して、大人が自分の足でしっかり立てるように自己教育していく活動を模索しながら、学校独自のカリキュラムも検討している段階でした。

時代は前後しますが、日本では1970年代に子安美知子(こやす・みちこ)さんが書いた『ミュンヘンの小学生』という、娘をドイツのシュタイナー学校に通わせた体験を書いた本がベストセラーになり、シュタイナー教育が一般にも広く知られるようになりました。

鳥山敏子も子安美知子さんと活動をともにしたり、自身の子ども2人をドイツのシュタイナー学校に送っていたため、当時のシュタイナー教育の流れにはすでに深く参加していたと言えます。

ただし、彼女の中では、もっと日本の中で同じような教育の道を探れないかと考えていたため、その後しばらくはどちらかと言うと、前述した竹内敏晴さんや佐藤学さんといった日本の教育学者とともに、日本の中で日本人とその道を模索していたのです。教育者のための雑誌「ひと」の編集代表になったのもそのためです。

そして「賢治の学校」を子どものための学びの場とするにあたって、シュタイナー教育を学校教育の柱として採用していくことになりました。賢治の宇宙・自然・他者とつながる「共生の精神」は、ルドルフ・シュタイナーが提唱した精神とも通じるところがあり、また、シュタイナー教育はすでに体系的なカリキュラムを確立していたからです。

鳥山敏子の中では、2人のわが子を通して、常にシュタイナー教育とのつながりはありました。
ですから、今、彼女にインタビューすれば「私の中ではシュタイナー教育はずっとあったのよ」と言うでしょう。「最初からつながっていたのよ」というのが彼女の口ぐせでした。