「宮沢賢治の教え子インタビュー映画」 コメント集
鳥山敏子(東京賢治の学校代表)
この四ヶ年が
わたくしにどんなに楽しかったか
わたくしは毎日を
鳥のやうに教室でうたってくらした
誓って云ふが
わたくしはこの仕事で
疲れをおぼえたことはない
<宮沢賢治 生徒諸君に寄せる断章1より>
正直言って、この詩にふれたとき、わたしの中に怒りに似たものがわいてきた。「賢治にこんなこと言ってほしくない、教師は今、大変なんだ。 子どもの味方をすることのできない親のもとで育てられている子どもを相手にする教師は、大変なんだ」「よし、それなら賢治がどんな仕事をしたのか、教え子を辿って聞いてみよう」
わたしは、驚いた。賢治の教え子たちのからだに賢治から受け取ったものが今もはっきりとたくさん残っていることに。 彼らの中にまだ意識化されず、言葉化されてなかったものもたくさんあった。賢治の声やエネルギーに直にふれた人たちの手ごたえを感じた。
不思議なことにわたしは、あれほど教師の仕事に疲れて退職願まで出したのに、取材に行くたびに元気になっていった。 その元気は6年後の1994年3月で底をついたが、、4月には「賢治の学校」をつくる動きを開始するエネルギーになっていった。
そして教え子のもとには、ほぼ7年間通ってのだった。しかしその間次々に亡くなられていく教え子の訃報にふれるようになり、わたしはこれまでの取材を早く形にし、 より多くの人に教師賢治、人間賢治を伝えていく必要を強く感じた。取材のまとめに友人の四宮鉄男(映像記録構成者)が取り組んでくれて、 『賢治の学校 宮沢賢治の教え子たち』全11巻を完成させた。
このDVDシリーズで、皆さんは教え子たちが語る賢治に出会うことでしょう。賢治が取り組んできたことを知り、授業とは、教師とは、 学校とは何なのかなどを考えるチャンスが生まれてくるかもしれません。これがみなさんにとって有効にされることを、どんなに願うかしれません。学ぶことができる。より多くの人の目にふれ、それぞれに生かしてくだされば幸いだ。
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谷川俊太郎(詩人)
賢治がいまここに生きている。教え子たちの熱のこもった語りが、私たちの目の前に賢治を出現させる、まるでホログラフィーのように立体的に!
歩く賢治、踊る賢治、泳ぐ賢治、叫ぶ賢治、笑う賢治、怒る賢治、書く賢治、祈る賢治…活字からはうかがえないなまの賢治が、 書き残した言葉すら超えて、いまここに暮らしている、生きている。錯覚ではない。
賢治とともに教え子のおじいさんたちはみるみる少年にかえる、川は昔の姿をとりもどす、太陽は太古と同じように輝く、そのかみの風が今日の風とまじりあう。
時代とともに宇宙を生きる人、この土地とともに宇宙のふるさととする人、時空を超えて懐かしい人。
だが今日の光の中にいる賢治だけを見ていてはいけない。私たちに見えない賢治がきっといる、夜の孤独の中に、背を丸め、私たちのために苦しみ、哀しんで。
このDVDの中ではすべてが現実以上に生き生きと生きている。その姿を見ることの出来る喜び、その声を聞くことの出来る幸せ。
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四宮鉄男(映画監督)
教え子たちの中で生き続けてきた授業
最初は宮沢賢治がどんな授業をしていたのかに興味があった。ずいぶんかわった授業をしたに違いないという予測があった。そこから授業の面白さを再発見したいという思いがあったからである。ところが実際に宮沢賢治の教え子たちに会ってからは考えが変わってしまった。八十四~五歳の高齢なのに、みんながすごく元気で若かった。そして七十年くらい前の授業のことをはっきり記憶しているのにびっくりさせられてしまった。まるで昨日や今日の出来事のように話してくれる。このとき彼らの若さの秘密を垣間見たように思えた。教え子たちは、この七十年間ずっと、賢治の授業の中で生き続けてきたに違いないと実感させられたからである。
今度の映画では、最初から最後まで、賢治や賢治の授業のことを語る教え子の姿があるだけである。しかし、その話に耳を傾けているとちっとも退屈しない。教え子たちの言葉に刺激されて、観客の想像力の世界で、イメージが奔放に駈け廻るからである。 彼らが「みやざわ先生」と語るときの表情の豊かさと柔らかさを、是非、眼のあたりにしてほしいのである。
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林光(作曲家)
映画が始まってすぐ、根子さんがうたう「ポランの広場」に魅せられてしまった。在りし日の余暇演劇のおおらかなたのしさが、そこにはあった。それはまた、賢治の作品が、その生まれた場所に置かれるとき、どのような光を放つかということを想像させた。
写真協力 林風舎

