賢治の学校 宮沢賢治の教え子たち DVD化に寄せて
映画『先生はほほーっと宙に舞った』が完成してから、六年も経ちました。
鳥山敏子
(NPO法人 東京賢治の学校 自由ヴァルドルフ・フシューレ 代表)
公立小学校の教師をやめ、賢治の学校をたち上げる
1990年に、教え子たちの取材を開始し、1年後には映画にまとめ、世に出しました。そのあと2本目、3本目も制作をつづけ、99年には十一本になりました。
わたしは、「ほほーっと宙に舞った」を完成させたあと、3年間公立学校で可能な限りの取り組みをつづけ、1994年、30年間務めた公立小学校に区切りをつけたのでした。その時、一休みしたいと思っていたわたしでしたが、何とその一ケ月後の4月には、「賢治の学校」を立ち上げ、今日まで走りつづけてきました。
取材した賢治の教え子たちが賢治と出会ったのが、中高生の年齢であったことも、今思えば、影響していたのかもしれません。最初につくった「賢治の学校」は、若者たちをイメージした学校としてスタートしました。もちろんドイツのシュタイナー学校ユーゲントゼミナールが基本としてはありましたが…
しかし、95~96年にかけて集まってきた30人近い若者たちのからだを観ているうちに、わたしは、親や学校や社会が、彼らに対してやってきたことを丁寧に検討する必要に迫られました。そして、小さい時から子どもとして安心して生活できる環境と、それぞれの年齢にあった適切な指導のほどこされる学校が必要なのだと、強く思い知らされたのでした。
そして彼らを育み支える親・教師・大人というもの、つまり、「親になるということ」「大人になるということ」「教師になるということ」は一体どういうことなのかを深く考えさせられたのでした。そのために建物をもつ賢治の学校をつくり、どういう指導のプロセスが必要なのかを、実践的に理論的に問う仕事に取り組んでいきました。「賢治の学校 親クラス、大人クラス、教師クラス」を誕生させ、試行錯誤しながら七年間取り組んでいったのです。
幼児から12年生までの学校に
こうしたさまざまな試みをベースにしながら「賢治の学校」は、2001年から本格的に幼児から12年生(高校3年生)へ進んでいく子どもたちのための学校へと、方向を決めたのです。
この映画がDVDとして世に出る2007年8月現在、「東京賢治の学校」は、全校<幼児~11年生(高校2年生)>で150人の学校となっています。そして来年2008年4月には、12年生までで170人ほどの子どもが通う学校になっていることでしょう。
賢治はとっくに新しい教育をやっていた
このようにわたしの場合は、賢治から学んだことが、「賢治の学校」の誕生と創造という形になっていったのです。それは賢治の取り組んだことが、わたしにとって、過去のできごとというものでは全くなく、もう一度自らが学校づくりを始めるということになっていったのです。今ふりかえってみるとまさに賢治が羅須地人協会をつくったように。
こうして公立学校30年、賢治の学校12年間取り組んできて、わたしは今一度、賢治の教え子たちが、語ってくれたことに耳を傾け、改めて11本のこの映画を見直したのです。驚いたことに教え子の語る賢治の取り組んだことは、今も教育を考える人たちに示唆に富んだものでした。一刻も早く、新しく今DVDにして世のたくさんの人の手元に届ける必要を強く感じたのです。
この映画を見たことことのなかった「東京賢治の学校」の教師たちは、11本を六日間に分けて、毎日見続けました。そして彼らは言ったのです。
「賢治は、とっくに新しい教育に取り組んでいたんだ。何で賢治の学校と名前をつけているのか分かったよ。」
賢治の授業が何を子どもたちに残したのか
賢治の授業は、賢治という人間ぬきには考えられません。良い授業は、日々子どもたちの中のものを発展させ、あるいは壊し、新しく発見し、創造していくプロセスを生み出します。もちろん授業というものをしなくても、教師の存在そのものがすでに生徒への深い授業になっていきます。
賢治の授業が、賢治から離れたあとの教え子たちのからだの中でどのように進行していったのか。わたしはそれを追っかけていきました。それがあったからこそ、11本もの映画になっていったのです。
賢治先生を語る教え子がいなくなった今
賢治の学校では学校誕生以来、学校の中での授業だけでなく、年1回から2回、岩手ツアーを組み、賢治に学んできました。今年の3月には、東京賢治の学校の6~10年生の子どもたち、約40人と教師たちで、一週間、花巻・東山・盛岡を中心として、賢治を学ぶ時間を持ちました。そして、この夏の8月 4日~7日は、わたしたち賢治の学校の教師だけでなくこの映画を見た参加者も、この映画に登場した教え子たちの家を訪問し、教え子たちに手を合わさせていただいたのでした。
DVDになった映画に登場する教え子たちは、もう全員亡くなられました。わたしの知る限りでは、賢治先生のことを語れる教え子は、もう一人もいらっしゃらないように思います。この映画シリーズに登場した、細川直見さんが、教え子たちの中では最後で、99歳で亡くなられたのですが、それはなんと、昨年、2006年八月の岩手ツアーの始まった日でした。細川さんが亡くなったのを教えてくださったのは、賢治の弟さん、宮沢清六さんの子どもである、宮沢潤子さんでした。
「教育改革」の必要がいろいろなことばで語られ、新しい教育の誕生の必要が、ここでまた叫ばれるこの国にあって、わたしは、賢治の教え子たちが語ってくださった「賢治」が大活躍をはじめるように思います。そのために一人でもたくさんの人に教師「賢治」、人間「賢治」を知っていただきたいという思いがつのってまいりました。教え子たちからみてどのように賢治は見えていたのでしょうか。そしてまた六、七十年たっても心に残っていたのは何だったのでしょうか今改めてこのことを問うことで、教育を考える視点が出てくるのではないでしょうか。新しい教育の誕生を熱望し、取り組んでいる賢治に関心を抱いている方たちのもとに「賢治」をそっとそっと放ちます。
2007年8月15日 終戦62年目
写真協力 林風舎

