饗庭千恵子

子供の学年
12年生

ほんとうの学びの場を求めて

当校へとつながる道。その始まりは突然の夫の転勤で、ABCすらわからない5歳の子どもを連れてのニューヨーク暮らしでした。私の教育に対する常識は、州立校に子どもを通わせた日々の中でガラガラと崩れていきました。

初面談で、全くコミュニケーションの取れない我が子に関して担任の先生から「宿題は白紙で出してOK。親が子どもの宿題を手伝うのはNG。子どもたちのわからないところを教えるのが私の仕事だからです。」と言われました。その後、子どもは授業と関係のない絵をノートに描いても褒められる。文字(らしきもの?)を書けば、形や向きが違っても、更に褒められる。「何かを伝えようとし始めたのは、とても喜ばしい。今は、文字を直そうとしないで欲しい」と。

つまり、普通に?日本で子育てをしていた私は、子どもの成長を辛抱強く見守ってくれる素晴らしい先生に出会い、子どもにプレッシャーのかからない学びの場が用意されていたことに気づいた訳です。毎年担任の先生が変わっても、個性重視の指導を受け、子どもは髪や肌の色が様々で国際色豊かな友人たちと共に、時に喧嘩しつつも伸び伸びと成長していきました。

その後、小学校を卒業するタイミングで主人に辞令が出て、夏休みに帰国することになりました。

早速、国際電話で幼稚園時代の友人たちに連絡を取ったところ「夏休みは中学受験のため、朝から晩までお弁当持参の塾通い」とのこと。その時感じたことは、きっと私も日本にいたら同じことをしていただろう・・・。その努力は理解できるが、今の私の子どもには向いていない。

インターナショナルスクールや帰国子女枠での編入も考えつつ、私はアメリカで知った「シュタイナー教育」というものに興味があり、ネットで調べたところ帰国後の家から通えそうな立川に学校があることを知りました。説明会で初めて訪れた小さな校舎には何故か懐かしい温かみがあり、先生や保護者たちの並々ならぬ深い愛情と熱意を感じ、すぐに編入を決めました。

「教育とは、学校で習った全てのことを忘れてしまった後に自分の中に残るもの」というアインシュタインの名言がありますが「自分の中に残るもの」とは、深く自由な心をもった人たちとの関わりの中から得られるものなのではないでしょうか。

ほんとうの学びの場を求めて、たどり着いたこの学校。愛情深い大人たちに囲まれて学んだ子どもたちの中に何が残るのか?残ったものを人生の中でどのように活かしていくのか?とても楽しみにしています。